高校生のための読書ガイド

という名の、おれの読書感想にっき。小並感/ネタバレ有で

ロバート・クーヴァー『ユニヴァーサル野球協会』

ユニヴァーサル野球協会 (白水Uブックス)

ユニヴァーサル野球協会 (白水Uブックス)

存在しない野球リーグの話だけで一冊持たせてるのだ、熱いな、と思って手にとって(=アマゾンでカートに入れ)、読んでみたら、それどころじゃなかった。野球リーグはこの本の中で真実であるような架空のものですらなくて、この本のなかのじいさんの、頭の中でサイコロとともに繰り広げられる登場人物たちの戦いだった。かれはすべての選手の名前を一人ひとり決め、性格づけをし、サイコロに従って彼らの運命を決めては、それに泣いたりも喜んだりもする。そのさまは悲しい老人の姿でもあるのだけれど、解説にもあるとおり次第に神話めいてきて、これは何なんだろう。変に装飾した言葉で語るのもあってないので、変な話だった。というのがいいだろうか。面白かったけど。

貫成人『哲学マップ』

哲学マップ (ちくま新書)

哲学マップ (ちくま新書)

その名の通り哲学(というか思想かね)というものの系譜を大きく俯瞰する本で、この本ならではの哲学的な、新しい話というのはほぼないと言っていい。長い歴史があるので新書一冊に詰め込むのは難儀な作業だったと思う、欠くわけにはいかない哲学者なんだろう人物の名前が挙げられてほんの少し触れられるだけ、というのがちょくちょくある。まさにマップ、またガイドマップであり、現代までの思想に興味をもったならば、まずは一読しておいて損はないはず。最後に読書案内がついてる。

たしか〈子ども〉のための哲学(この本でも紹介されているよ)にあったと思うのだけれど、哲学とは個々人の中で行われる本質的には一点ものの営みのことで、それが例えば文章に起こされるなどして他人に伝えられる形にされたのならそれは思想と呼ぶべきだが、とはいえ一人一人の思索は先人たちの築いてきた思想という巨人の肩に乗ってることは間違いない。おれたちが現代で暮らしているなか常識的に信じている理性やら自由やら平等やらといった観念だって歴史の積み重ねでいまこうしてここにあるわけで、歴史を知らずゼロから構築してみようとするのは無謀なはなしだ。

それにしても紹介される過去の思想は(おれたちの哲学にも歴史的に組み込まれているからだろうが)それほど苦労なく理解できる、と思うのだが、現代に近づくほどさまざまな思想や論者が出てきてめまいがするが、これはまだ時間が経っておらず淘汰されていないからなのだろうか? それとも最新の思想というのはつねにその時代の一般人には理解しがたいものなのだろうか? それとも哲学という分野が尖鋭化しすぎた産物なのだろうか?(最後のはないと思うけど)ということも気になる。

佐藤友哉『フリッカー式 鏡公彦にうってつけの殺人』

フリッカー式 鏡公彦にうってつけの殺人 (講談社ノベルス)

フリッカー式 鏡公彦にうってつけの殺人 (講談社ノベルス)

佐藤友哉といえば一部の界隈(その実体は不明だが)では強い人気があることを知らないわけではなくて、読まないわけにもいかないわけで、それで読んだわけだが、面白かった。これがデビュー作であるというのは、大したもんだと言わずにはいられないのではないだろうか。いやーこれを19歳で書いたとは……。年齢のことを考えると俺が悲しくなるのであまりやらないようにしてるんだけどね。しかし何が一部の人の琴線に触れてそんなによかったのかは分からなかった。ラノベ的には普通に面白いという感想になってしまうのは、今の時代にドラクエやってこれいつものじゃん、って言う感じか? しかし著作一覧を見たら面白そうな気がしたので折を見てもっと読みたい。

小林泰三・林譲治・山本弘 『超時間の闇』

超時間の闇 (The Cthulhu Mythos Files)

超時間の闇 (The Cthulhu Mythos Files)

クトゥルー・ミュトス・ファイルズというアンソロジーシリーズ企画があって、その一冊なのらしい。他の表紙も恰好よいな。これは『超時間の影』のトリビュートだそうだがこっちを読んだことなかったわ、と思ったら『時間からの影』という名前でラヴクラフト全集 (3) (創元推理文庫 (523‐3))に収録されてるらしく読んだことあるはずだった。いやしかしかなり面白く読めた。久しぶりに小林泰三を読むと、なにか満たされるような感覚がある……。山本弘ゲームブックも、かなり面白くて一昼夜くらいでクリアした(半分だけ)。試行錯誤の雰囲気と謎解きの快感が非常によいバランスで提供される。よくできてるなーと舌を巻いた。

唐辺葉介『電気サーカス』

電気サーカス

電気サーカス

独立して複数に言及されていたら買うの法則で買い。しかしなんだねこれは、自伝的小説なんだろうか? 日記書きの日記をよんでいるみたいだ、そういう題材だから当然のことなのかもしれないが。それにしてもやれICQだ、オフ会だ、などといって、日記サイト界隈の、それは黄金時代だったのかもしれないが、おれも一介の日記書きではあるのだが、知らないので、憧れることもなく、そういう時代を懐かしむ気持ちもない。やれシェアハウスだ、セックスなどと。けど最後はしんみりとしてしまった。青春なんかじゃありゃあせんのだろうけど。

野村美月・日日日・田尾典丈・田口仙年堂・岡本タクヤ・石川博品『部活アンソロジー2「春」』

ファミ通文庫の作家たちによるアンソロジー。これってどういう位置づけなんだろうね。次の本の目処が立たない作家陣のつなぎなんだろうか? あとがきを読んでいるとお題は与えられているものの、シリーズ化を見据えて設定やキャラを練る必要がないので、それなりに自由に書けるものらしい。玉石さまざまと言うべきか、普通に面白いのもあれば「これがラノベクオリティ……」と再認識させられるようなものもある。★3と★4を併記いたします。 → やっぱやめた。以下よかったもの。

日日日『根暗男子のバスケットボール』

話はありがちというか正統なものだけどなんつったってあとがきが良かった。

田口仙年堂『輝け、モ部! -Flash mob-』(★★★★)

終わってみると設定からオチまでタイトルから想像できるまんまの話だったんだけど、よかった。短編ラノベとして素晴らしい。

石川博品『地下迷宮の帰宅部』(★★★★)

元はといえばこれが目的で買ったんだけど。内容は普通に剣と魔法の異世界ファンタジーだったので他のとは毛色が違っていた。この人はワイワイガヤガヤがうまく書けていて、それがこの作品のこの雰囲気になるのだな、と思った。

石川博品『後宮楽園球場 ハレムリーグ・ベースボール』

これは本当は去年のうちに読んだやつ。こういうのがたくさんある。

ブログ記事(石川博品のおしゃべりブログ: 新作が刊行されます)を読んで待望のギャグかと思っていたのだけど、どうやらそうではない、異世界ファンタジーだった。今後はこの方針でいくのかな。かまいませんぞ。

異世界ファンタジーったって後宮で野球をするっていうとんでもない食い合わせなんだけど。そして凄いのはこのネタでしっかりと世界観構築ができている。それは設定の妙というよりは描写が素敵なんだと思う。ネルリ世界の静かな雪の大地の印象に対比してこの大白日帝国(もちろんオスマントルコ風)のギラギラ輝く太陽よ! それに加えてこの肉肉しさ。後宮だからね。女の園だからね。淫靡でもない開放的なエロさってものに満ち満ちている。

野球が別に好きではないんで、肝心の試合風景にあまり気持ちを入れられなかったのが残念。さすがにシリーズ続刊もあるはずなのでこの世界観に馴染んでいきたい。

木田元『反哲学入門』

反哲学入門 (新潮文庫)

反哲学入門 (新潮文庫)

あけましておめでとうございます。哲学の教養のための一冊、みたいな触れ込みでエントリが書かれていてこれいいのかな、という話が出たので買っていたやつが外出するとき近くにあったので鞄に入れたのだった。

もともとは口述らしい。哲学史である。どうやら日本人には(西洋)哲学に劣等感を持っているらしい前提ではじまっていて実感がないのでよくわからない。自然を超自然の立場からみた対象とする西洋と自然に包まれて生きる日本人、という対比がされていて、これも御定まりの議論のようで、まあこの本が書かれた当時の状況はそうだったのかもな、と思いながら読みすすめる(と思ったら 2010 年の本だったよ!)。

ギリシア時代からはじまって20世紀のハイデガーまでの哲学の系譜をおおざっぱに辿る。読んでると俺に興味が湧くのはせいぜいデカルト以降なんだな、ということがわかった。カントは何故世界が人間に認識できるのか、という問題に対し、「世界は神が創造したのであり、人間の理性は神が与えたものだから」などという答えではなく、人間が世界を歪めて見ているのだ、という答えを見いだしたらしく面白そうだった。カントのことはよく知らなかったので知る必要がある。現象界、といった考えはラカンでしか知らなかった(ちょっと違うけど)。

そういう本なのでいいんだけど、思想の紹介だけでなく哲学者の経歴とか用語の話とかもろもろのエピソードが挟まれるのが、系譜の理解の助けになるようでいて、それらの歴史の一定の前提知識が必要に思えて、むずかしい。ある程度のコモンセンスに注釈を加えていく本のように思う。私の父は地元の名士で……みたいな話が最初にあったのも読むのを阻害した。そういう本なのでいいんだけど。

哲学マップ (ちくま新書)のほうも読んでみて検討する。

2013年をよかったasinで振り返る

おいおい気づいたら大晦日じゃねえか! と慌ててまとめる。足りんと思った部分はあとで追記する。

今年はラテンアメリカ文学の印象が強かった。そんなに読んだ訳ではないんだけどね。あと記録によると年々読む量が減っているらしいのだが実感がない……。

百年の孤独

百年の孤独 (Obra de Garc〓a M〓rquez (1967))

これ読んだの今年だったのかー。もう何年も前に読んだような気がする。ハードカバー読みだしたのが去年だからそんなものか。エピソードに続くエピソードの、意味のないような年代記。これを皮切りにという訳ではないけれど、嘘の混じった語りの奔流にこの後も接することになる。そして同じように書きたくなるよね。

アブサロム、アブサロム!

アブサロム、アブサロム! (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-9)

これもオーケストラのように重層的な語りの一冊だ。サトペンという男の一代記を、彼を取りまく人間たちの回顧でもって語らせる。この世界文学全集の中では『巨匠とマルガリータ』と肩を並べてよかった本。

オスカー・ワオの短く凄まじい人生

オスカー・ワオの短く凄まじい人生 (新潮クレスト・ブックス)

これもラテンアメリカ文学、それも若いやつだ。魔法の代わりに散りばめられたナードカルチャーの数々。厳しい歴史とキラキラ輝く虚飾の世界。これを高校生と青春の世界に縮めたものがネルリにも通じるのではないかとおれは思ってしまうのだよな。

HHhH

HHhH (プラハ、1942年) (海外文学セレクション)

これは最高によかった。新しい本を普通に買ったのも珍しいのではないだろうか。これまで第二次世界大戦時のドイツ周辺の政治的な事情など知らなかったから、まずそれが面白かった。作者の真摯さに心動かされると同時に、歴史を語るのは一人の人間の個人的な物語にしかなり得ないのかなーと思う。

隠慎一郎の電気的青春

隠慎一郎の電気的青春(1) (KCx(ITAN))

この本は単純に楽しかったよね。ストーリーがよかったとか、ギャグが面白かったとか、そういう訳ではなく……楽しんで読めたと思う。そのときの精神状態を救ってくれた本だった。

ちぐはぐな身体—ファッションって何?

ちぐはぐな身体―ファッションって何? (ちくま文庫)

社会的自意識と身体性ね。ファッションのことなんて一顧だにしてこなかった俺には新鮮だった。

メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬

メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬 スペシャル・エディション [DVD]

ロードムービーだ!

ファインマン『物理法則はいかにして発見されたか』

物理法則はいかにして発見されたか (岩波現代文庫―学術)

物理法則はいかにして発見されたか (岩波現代文庫―学術)

シュレディンガー先生による講演ふたつ。古本屋で見かけて購入した。物理を専門としない一般聴衆向けとあるけど、ある程度知ってないと感覚をつかむのは難しいだろう(自分が中途半端にしか理解できなかったからこういうことを書くわけだが)。

物理法則の発見というものの一般の法則などがあるわけでは当然なく、前半に載る講演では物理学の主要な諸法則それぞれの平易な解説がなされ、後半はシュレディンガー本人の業績が産み出されるまでの紆余曲折が語られている。教科書でない語りというのは、客観的な事実に加えて語る当人の理解、その人の見る世界というのが入り混じってくるため、親しみやすく、理解の助けになるように思う。

おもしろかったのが、物理法則は数学的に等価ないくつもの形式で書き下すことができるけれど、それぞれの形が人間の心理に投影するイメージというのはたいへん違っている、という話。そして、ひとつの形に固執することなく複数の表現を知っていることが新たなアイデアにつながるのだ。

終わり間近に、シュレディンガーはニュートン、マクスウェル、それから相対性理論量子力学の発見を挙げて、「物理学においては、歴史は繰り返さない。」(p. 251)と言う。それぞれがまったく違った形で発見されたのであって、また、過去のそれらの発見につながった方法はすでに適用が試みられていながら、大きな前進にもつながってはいないので、次の大きな一歩にはこれまでに試されなかった方法こそが必要なのだという。それこそパラダイムシフトだ。ニュートンのころは実験と理論が密接だったけれど、今は数式を弄くることがメインなんだろうか? 庶民にとっては不遇な時代だ。