高校生のための読書ガイド

という名の、おれの読書感想にっき。小並感/ネタバレ有で

ちぐはぐな身体—ファッションって何?

ちぐはぐな身体―ファッションって何? (ちくま文庫)

ちぐはぐな身体―ファッションって何? (ちくま文庫)

とてもよかった。

身体というのは、他者の前に自分が晒されるとき、第一に認識される部分で、自分とその外部との境界であり、自己認識の上でも大きな位置を占める。しかし他人とのコミュニケーションの窓口である顔ですら鏡を使って見ることしかできないように、この身体は思っている以上に言うことをきかず、かくして自己認識を反映した身体のイメージと、物理的な身体には差が生じる。その差を埋めるためのファッションだ。

ファッションは単なる見た目以上の意味を持つ。ただ華美であるか流麗であるだけでなく、社会的な価値感覚に置ける自身の立ち位置をも表す。サラリーマンであるとか、女性であるとか。そういう意味でファッションとは時代や社会の制服でもある。

制服はひとの<存在>を<属性>に還元する。

ちぐはぐな身体―ファッションって何? (ちくま文庫) p.64

制服で言えば面白かったのは、今では束縛のイメージを持つこともある制服という存在は、その発祥においてはむしろ自由や平等の象徴であった、という話だ。もともと貴族のごとき人々がその派手な服装でもって生得の地位特権を主張していたところに革命が起こり、みなが同じ服を着ることで、人々から生まれや身分といった差異を抜き去ることができたというのだ。人々を解放した平等化装置が、年月を経て人々には抑圧として受け取られるというのは面白い。

そして、おれ自身の経験に照らし合わせて言えば、高校生の頃など(今もなんだが、まあそれは置いといて)ファッションなどという言葉とは対極にいたと言ってよく、せいぜい気に入った柄のTシャツを身につけるくらいだった。これは、そもそも意図を持って着飾ることで他人からの視線に敢えて晒されることを恐れて、あえて無難な服を選んでいたのだと振り返ることができる。オタクの制服を着ていたのだと言うことも可能だろう。

これが書かれたのは1995年のことで、実にふた昔前なんだが、ファッションにうとい俺としては新しい話ばかりだった。脱モードがモードの最先端になっている、という話は、今だとさらにメタメタな状況になっているのもしらん。

ファッションから始まり、自己認識と身体性の本。高校生にお勧めだが、当時の自分が読んだら「なんだこの無根拠で独りよがりの主張は」(一応言っておくとその時のおれがその底にある考え方を知らなかったというだけ)と反発して、きちんと肚落ちさせることができなかったかもしれない。当時のおれは、本とは宇宙の真理を解きあかすもので、ひとつひとつ読むたびに地図を塗りつぶすようにものごとが明らかになっていくのだろうと思っていたが(自然科学の教科書を読んでいる限りではそうだ)、一冊の本、特に非定量的にものごとを語らざるをえないもの、はその中でひとつの主張、ひとつの世界を作り上げなくてはならず、読み手によっては独善的に見えるようなこともままあるのだが、それはそれとして、話半分にでも受けとめることが必要だ。本の描く世界とは宇宙そのものではなく、宇宙の数ある投影のひとつにすぎない。