高校生のための読書ガイド

という名の、おれの読書感想にっき。小並感/ネタバレ有で

わかつきひかる『仏教学校へようこそ』

「仏教の教えはね、『私は幸せ、あなたも幸せ』『私はオッケー、あなたもオッケー』なのよ。私もカラオケで楽しくて、大和も楽しくて、両方オッケーでしょ?」

「自利利他、二利円満っていうんだ」

住職が言葉を添える。

仏教学校へようこそ p.65

折しも『世にも奇妙な物語』が放送されていたがそのエピソードのひとつ『ニートな彼とキュートな彼女』もわかつきひかるの作品だ。わかつきひかるって作家は本来ジュブナイルポルノ作家で、美少女文庫のエース(少なくとも数年前はそういう状況だった)なんだが自分のことを「コッパ作家」と呼ぶ謙虚さに加えて真面目な性格も持ちあわせていて一般文学賞の研究なんかも欠かさないし、『ニートな彼』も元は創元SF短編賞に応募したものだ。先生のブログではよく自分の経験を交えながら作家としての心構えや業界の話を語っておられて、読めば真摯な姿勢に胸を打たれると思う。奈良に住まれているようで、イトーヨーカドーのカルチャーセンターでは小説講座を持っているらしい。

で、これも仏教なだけあって奈良が舞台。不本意ながら仏教学校に入学した主人公が友達と出会ってウンヌン、てストーリー。実際に取材して書いたものらしくてけっこう興味深いのだがもっと仏教学校の描写を見たかったな。内容はいつものわかつき先生という感じで、主人公はスゲーッとかカワイイとかすぐに言うのでもうちょっと情緒のようなものがあればな、と思わずにいられない。前に名前を見たことのある蝉丸Pという坊さんの話が計4ページ載っていて、こちらも面白いんだけどページ数足りてなそう。

小野寺整『テキスト9』

何かよく分からない仕組みの働く宇宙の人間の危機を救うため、女物理学者が別宇宙へ乗り込む……。(あらすじのつもり)

当然、そこには、カレンの目に映る男優としてのグッドマン(男優体)だけでなく、それを鑑賞している客としてのグッドマン(客体)も登場するはずである。

p.305

こんな感じだよ。真面目なのかふざけてるのか分からない(ふざけてるのだと思う)ところがいい。精緻な論理をもとめてはいけないのだと思う。しかしまあ謎の基盤テクノロジーで互いにもしかしたら相容れないかもしれない外見の遠人類どうしが理解できる形に翻訳されなおしているとか、細かいところはけっこう楽しいと思った。

テキスト9 (Jコレクション)

テキスト9 (Jコレクション)

古川日出男『アラビアの夜の種族』

"Arabian Nightbreeds"、無名の著者(有名ではないという意味ではなく、ノークレジット)による作で、それゆえ多くの翻訳者・編集者が自らの名前で好き勝手に改竄を施してきた物語の、日本語訳。だからこれは物語の物語だ。

ナポレオンの邪眼からエジプトを守るため、首長の一人イスマイール・ベイの奴隷アイユーブは奇策を立てる。折から探しあてた『災厄の書』、読んだものを虜にして離さないというこの稀代の書を翻訳し、ナポレオンに献上するというのだ——というのはアイユーブがイスマイール・ベイに語った嘘で、本当はそのような書などはなから存在しない。ではどうするのかというと、ある語り部に、夜な夜な物語を語らせ、それを筆記して書を少しずつ作り上げていくのだ。

毎夜語られるのは、物語! 無限に拡がり続ける迷宮を中心とする、アラビアン・ファンタジーだ。説明を試みようとするとうまくいかず、陳腐そうに聞こえてしまうのでやめとこう。けれどこれがなかなか面白くて、飽きがこない、引き込まれる、これが語りの妙というやつか。この話だけを取りあげて一個の話にパッケージしたとしても、ほかに見劣りすることはないだろうって代物だ。

そして読み終えてみれば仕掛けは明らかで、(ウィザードリィ云々というのは措いといて、)この本が翻訳であるなどというのはもちろん嘘なわけで、となるとこの本自体を包む現実というものもひとつの物語と化してしまう。そういうのも面白い。

アラビアの夜の種族〈1〉 (角川文庫)

アラビアの夜の種族〈1〉 (角川文庫)

アラビアの夜の種族〈2〉 (角川文庫)

アラビアの夜の種族〈2〉 (角川文庫)

アラビアの夜の種族〈3〉 (角川文庫)

アラビアの夜の種族〈3〉 (角川文庫)

福島聡『星屑ニーナ』

3年後! 5年後! いやー、エピックだった! 作者はハチャメチャな漫画を目指したと書いていたけれどその試みは成功しているように思える。それも読者がついていかれないようなハチャメチャさではなく、ハチャメチャさを楽しみながら引っ張っていかれるようなハチャメチャさだ。

ニーナという奔放で真っすぐな少女(というとありがちな造形ではあるが)と、彼女に出会ったロボット、星屑のストーリー。ロボットは死なない、電池さえあれば生き延びることができるけど、ニーナは人間だから、すぐに死んじゃうぜ! 一巻を読み終えるころにはもう、たぶん寿命で、死んでしまっている。ひとり残された星屑が抱えこんだニーナの記憶(記録)は、彼がそれから出会う何人かの人間たちに多かれ少なかれ影響を与えて、彼らの運命をつなげていく。それは複雑に絡みあうのではなく、星屑の人生(?)を経糸として、それぞれ、じゅんばんに——そして物語は終わり、また始まる。そんなお話だったのさ。フェローズで読んだ覚えがあったが、これは完結した今まとめて読むのがいいだろうな。面白かった。Kindleで。

谷崎潤一郎『鍵・瘋癲老人日記』

こ、これが日本を代表する作家……。『春琴抄』がとてもよかったわけだけど期待に違わぬものであった。

: エロオヤジが淫蕩な性質の妻に負けじと自分を嫉妬させるように仕向けて破滅していく様を描く日記。夫と妻との日記が交互に現れてミステリーのような趣もある。終わりがちょっと不気味。

瘋癲老人日記: 瘋癲老人ダイアリー。エロジジイが嫁にデレデレしながら死にかける日記。墓のアレンジの話なんかいっそ冒涜的である。

70歳とかそこらの時期の作品である。とくに瘋癲老人日記は口述筆記で書かせているので恐るべきじいさんだと言わねばならない。

年のいった男が性に溺れ破滅へと転がり落ちてゆき、対照的に女のしたたかさが明らかになる様、『カメラ・オブスクーラ』を思い出した。(余談だが『カメラ・オブスクーラ』は読んだ直後こそひどい話だという感想しかなかったが後々何度となくその風景が思い出されて不思議と印象に残っている。)しかしたぶん普遍的なテーマなんだろうなあこれ。

鍵・瘋癲老人日記 (新潮文庫)

鍵・瘋癲老人日記 (新潮文庫)

殊能将之『黒い仏』

だいぶ前に読んだやつ。文脈は知っていたので展開に驚きはしないしむしろそれを求めて読んだのだけど。ミステリってのは懐の広いジャンルだと思いつつも、消化不良感は否めない。

黒い仏 (講談社文庫)

黒い仏 (講談社文庫)

ジーン・ウルフ『ピース』

ジーン・ウルフの新作! ではなくて1975年のもの……。ウルフってそんなに邦訳されてないらしく、また古いものしか邦訳されてないのだと調べてわかった。

ウルフの作品が何で好きなのかと言うとこの嘘にからめとられるような感じ、技巧上のものじゃなくて語り自体の嘘が好きで、一言でいってしまえば信頼できない語り手というやつ。だけどそれ以上に、自分の、どうやら半端な理解で読み進めてしまう悪癖の言い訳が立つような気分がしてしまうからだろう。よくないんだけれど。最初の一章あたりまでは、アメリカのような描写だけれどこれは宇宙に違いない……とか勝手な予断をもって読もうとして混乱していたのだけれど、帯を見て、頭をリセットして読めばアメリカの話だ(実際にそう)。

けっきょく(いつもの通り)謎めいたまま終わるのだけれど、解説を読むとおおっ、となる。謎ばかり、楽しい。英語圏ではすでにいろいろと読解がなされているだろうから、そういうのを調べる楽しみもある。また読みたいね。

ピース

ピース

渡辺一史『こんな夜更けにバナナかよ』

自立生活を志向する筋ジストロフィー患者と、その介助をおこなうたくさんのボランティアたちの話。ルポルタージュだね。最近はノンフィクションと言うらしい。Amazonのアカウントを取ってほぼはじめにウィッシュリストに入れた本で、ようやく掘り返してきたものだ。

おれの人生で障害者と呼ばれるような人に会った経験は何人かの聾唖者くらいしかない。彼らの場合は、他の大勢の人には普通にできることができない、というたぐいのもので、言語が違うこともあり、一種独自の文化を築いているという風に当時見ていた。本質的には自立していて、いくつかのハンディキャップがあるというところだろう。けれどこの本の中心人物であるシカノという人は筋力が衰えているのだから自分では何もできない。24時間誰かがそばにいなければ、生きることができない。おれはこの本を障害者とそうでない人の本だと思って手に取ったが、介助されねば生きえない人と介助する人の本だと考えるのが正しそうだ。

鹿野は人生を病院で送りたくなどない、普通に自宅で暮らしたい、といって病院を飛び出し、自力でボランティアをかき集め、痰の吸引など命に関わるようなことも彼らに委ねながら生活し、その姿はじっさい他の障害者たちにも影響を少なからず与えているらしいのだけれど、この本はそんな鹿野の主義主張を取りあげてなぞるだけのことはせず、それよりも彼の生活を支える(というよりは生活そのものである)ボランティアたちに注目する。なぜボランティアをするのか、鹿野のようにワガママで、決してやりやすくはない性格の人間の介助をなぜ続けられるのか(やめた人間も大勢いる)……。じっさいこれがおれには不思議で、一人一人違った言葉で語るその答え、考えを読んでいくのが面白い。

結局のところ、鹿野のように人間生活そのもの、食事も排泄も、なにもかもを他人にゆだねなければならないとき、その介助が持続可能かつ健全(被介助者が自分らしく生きる……というと美化しすぎなので、普通に人間として生きる)であるには、お互いの自己を融合させなければいけないのではないか、と思った。そこに「思いやり」とか「優しさ」とか、ありがちな障害者の神聖化なんかを介在させない、エゴとエゴ直接のやり取りが必要なんだと思う。完全に融合してしまってはもちろんいけないけれど、かといって赤の他人同士でもないような関係、というのはもちろん難しいが、しかしそう思うと鹿野がエゴむき出しの激しい性格であったというのは、一種の歩み寄りであったのではないかとも思える。

……と思えたところまではいいけれど、自分がこういう状況になったとき同じような関係を築くことができるのか、すでにあまたいる要介助者にも同じことができるのだろうか、と思うとあまり明るい展望は持てないのも現実だ。単行本で買ったけど、文庫もKindle版もあるのね。高尚な気持ちではなく、のぞき見をするような下衆な気持ちで手に取ってみてもいいと思いますよ(おい)。おもしろかった。

こんな夜更けにバナナかよ

こんな夜更けにバナナかよ

関係なけど /archive で見たときに綺麗になるように、書影は最後に持ってくるようにした。

ジョージ・オーウェル『一九八四年』

最近全然読んでないように見えるんだけどほんとに読んでない。困ったときのためにKindleに古典を忍ばせて町へ出よう、と思い買ったやつだけどなんか書籍を手に取るのが面倒でこっちが先に消化される的な。途中からなんつーの概念的? 形而上? の話がおおくて、読んでて楽しいものではなかった。聞いていたとおりディストピア的世界観はおもしろかった。イメージやモチーフになりそうなものがもりだくさんだった。倍超良い。30年前ってこんな時代だったんだなー(違う)。原書の出版は 1949 年。

丸山圭三郎『言葉と無意識』

言葉と無意識 (講談社現代新書)

言葉と無意識 (講談社現代新書)

ソシュールの言葉による差異の論理は、自分の考えの中のかなり根元にある重要な話であるわりに、きちんとは知らないのが問題であったので、読んでみることに。期待してたより微妙だったな、『日本の思想』は結構面白く読んだ覚えがあったので、なんだろなーと思ったけどこれ、丸山違いですね……。

最初の章はいいんだけれど、途中からアナグラムの話になって、まあ創作者が自分の意図しない要素を作品に埋め込んでしまうという話はいい。だけどそれが既存の作品にこう発見される、というところから、何か新しい未知のものにもこれが適用されると予想されるとか、そういう話につながっていかないと、仮説の上に仮説を積み重ねているばかりで、まあそういう考えもあるよね程度にしか思えない。それでいながら西洋科学を批判するような態度をみせているのでなおさら。とはいえ断片断片はおもしろかったような気がするし、無意識について論じるようなことはそもそも根拠のあるような言い方ができるとも思えないので、論拠の組み立て方に違和感があったということかな。