チェーホフ『桜の園・三人姉妹』他一編
- 作者: チェーホフ,佐々木彰
- 出版社/メーカー: 旺文社
- 発売日: 1966
- メディア: 文庫
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「桜の園」は実際的なことがなにもできない女主人を中心に家が衰えてゆく、その終わりのほうの景色、ついには屋敷と桜の園が失われてしまう話で、これに「人間喜劇」と銘打たれているのとはギャップを感じたが、新たな時代の幕開けである点においては、喜劇だといってもよさそうだ。当人たちにとっては考えられもしないだろうけれど。「三人姉妹」も逆境の中、貴族階級の三人の姉妹が未来を見て行きていこうと(最後には)する話であり、通底するものがありそうだった。モスクワへ行きたい、あそこへ行きさえすれば、という希求が熱い。
主人公だけの劇ではなくどのキャラクターも面白いんだけれど、劇脚本は人間を区別しづらい……ロシア名とかならなおさら。
「桜の園」1904 年、「三人姉妹」1900 年。
トゥーゼンバッハ そうですね? われわれのあとでは軽気球に乗って飛んだり、背広の型が変わったり、ことによると第六番目の感覚が発見されて、それを発達させるかもしれませんね。がしかし、生活はまったく同じまんまでのこるでしょう。生活は苦しく、謎にみち、かつ幸福でしょう。千年たっても人間は、今と同じようにため息をついて言いますよ。「ああ、生きるのはつらいなあ!」って。そしてそれと同時に、ちょうど今と同じように、人間は死を恐れ、死にたがらないでしょう。
ヴェルシーニン (ちょっと考えてから)なんと言ったらいいか? わたしの考えでは、地上のものはすべて少しずつ変わらねばならないし、現にわれわれの眼の前で変わっていってますよ。二、三百年もしたら、いやいっそ千年もたったら——問題は期限なんかじゃありません——新しい幸福な生活がやってきます。われわれがその生活に加わるようなことは、もちろん、ありませんが、しかしわれわれは今その生活のために生き、働き、そのうえ苦しんでいるのです、われわれはそれを創りあげているのです——そしてそのことだけに、われわれの存在の目的が、またそう言いたければ、われわれの幸福があるのです。
三人姉妹