供述によるとペレイラは……
供述によるとペレイラは… (白水Uブックス―海外小説の誘惑)
- 作者: アントニオタブッキ,Antonio Tabucchi,須賀敦子
- 出版社/メーカー: 白水社
- 発売日: 2000/08
- メディア: 新書
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供述によると、ペレイラがはじめて彼に会ったのは、ある夏の日だったという。陽ざしは強いが風のあるすばらしい日で、リスボンはきらきらしていた。ペレイラは編集室にいて、さしあたり仕事はなかった、という。編集部長は休暇中で、彼は文芸面の構成をどうしようかと考えていた。『リシュボア』紙にもいよいよ文芸面ができることになって、彼がその担当になった。そのとき、彼、ペレイラは、死について考えていたという。あのすばらしい夏の日、大西洋から吹いてくるさわやかな風が樹々のこずえをやさしく愛撫し、太陽がかがやき、街ぜんたいがまぶしくひかり、じっさい編集室の窓の下でまぶしくひかっていて、その青さ、それは見たことのない青さだったとペレイラは供述しているのだが、ほとんど目が痛いほどの透明な青さのなかで、彼は死について考えていた。どうしてか。ペレイラにはそれが説明できない。彼がまだ小さかったころ、父親が〈悲しみの聖母・ペレイラ〉という屋号の葬儀店をやっていたからだろうか、数年まえ妻が肺病で死んだからか、彼自身が肥満体で、心臓病と高血圧をわずらっていて、この調子だと余命はあまりないよと医者にいわれていたからか、いずれにせよ、ペレイラは死について考えたという。そのとき、手もとにあった雑誌のページを繰ったのは、ぐうぜん、まったくのぐうぜんなのだった。文芸誌といっても、そこには、哲学についての記事も載っていた。急進的な雑誌というのかもしれないな、よくわからないまま、ペレイラはそう思った。それでいて、カトリックの連中もたくさん寄稿している。供述によるとペレイラはカトリックだった、いや、すくなくともそのころはじぶんのことをカトリックだと信じていた。ただひとつ、世の終りに肉体が復活するという教義だけは信じられなかったが、それを除けば、じぶんはりっぱなカトリック教徒だという気さえしていた。たましいの存在も彼は信じていた。うん、人間にはたましいがあるのは確実だ。だが、肉体はどうだろう。彼のたましいの周囲にひしめきあっている肉体は、どうなるのだろう。ああ、これはだめだ、ペレイラは思った。人間は世の終りに復活したりはしない。え、どうしてかって? ペレイラには説明できなかった。彼の日常についてまわっているこの脂肪のかたまり、汗、階段を上がるときの息切れ、あんなものがどうして、よみがえらなければならないのだ。あれはいやだ、来世にまで、永遠になんて、ぜったいについていてほしくない。そんなわけで、彼はその雑誌のページをごく行きあたりばったりに繰りはじめた。というのも、退屈していたからだ、と彼は供述している。そのとき、こんな記事が目にとまった。……
pp.3-4
「供述によると」という一節が時おり挟みこまれ、発話もすべて地の文で書かれており、静的な印象ながら、供述という言葉のおかげで、物語に何かしらの事件が起こることが予期される。特に引用した「供述によると、」で始まり「……と彼は供述している。」で結ぶ冒頭が好き。