高校生のための読書ガイド

という名の、おれの読書感想にっき。小並感/ネタバレ有で

楽園への道

楽園への道 (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-2)

楽園への道 (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-2)

画家ゴーギャンとその祖母のその人生が交互に語られるんだけど、それぞれの章の中でもそれぞれに、噛み締めるようにして過去が思い出されていく。耐えがたい欲求、心の奥底から求むるもの、目指す楽園に到達しようとする道のりは苦しい。

 シャザル氏に対しておまえが感じていたものが愛であるならば、愛とは偽りであった。揺れ動く心、詩的な高揚、胸を焦がす思い、小説の情景などとは無縁なものだった。おまえにとってアンドレ・シャザルは雇い主で、まだ夫ではなかったが、職工仲間の娘たちが帰ってしまうと、仕事場の事務所のギシギシ軋むバネ入りの長椅子でセックスをした。それはおまえにはロマンティックでも美しくもなく、また感傷をそそるものでもなかった。痛みを伴う不潔な行為と言ったほうがあたっていた。フローラを押し倒す汗臭い身体、煙草とアルコールがないまぜになった息、べとべとした舌、両腿と腹に挟まれて壊れてしまいそうな感覚に、吐き気をもよおした。それなのに馬鹿なフロリータ、うかつなアンダルシア女、おまえはあの嫌悪感を抱かせた暴行——そうだったよね——のあと、アンドレ・シャザルにあの手紙を書いたんだね。十六年も経ってから、この哀れな男がパリの法廷で公開してしまう手紙を。恋する娘が処女を捧げたあとで恋人に言うような、どこにでもあるような偽りのばかばかしい短い手紙。しかも綴りは間違いだらけで文章になっていない。それが読み上げられ、裁判官や弁護士や傍聴人たちの忍び笑いを聞いていたときの恥ずかしさ。おまえはあの長椅子から嫌悪感に打ちのめされながら立ち上がったというのに、どうしてあんな手紙を書いたんだ。小説の中で処女を失ったヒロインがすることだったからだろう。

[……]彼は木々のない、大小さまざまのシダ類の茂るその平らな場所にどうにか辿りついた。そこからは、谷や海岸の白い線、薄氷色の潟湖、珊瑚礁のピンク色の輝き、そしてその背後には空と混じり合っている海が見えた。彼は決めたのだ。「ここで死のう」と。そこはとても美しい場所だった。静かで荒らされていなくて非の打ちどころがなかった。たぶんそれは、七年前の十八九一年におまえがフランスを発って南洋へ向かったとき、頭の中にあった避難所にぴったりな、タヒチで唯一の場所かもしれなかった。あのときおまえは友人たちにこう宣言した。俺は金銭によって堕落してしまったヨーロッパ文明から逃げ出し、純粋な原始の世界を探しに行く、その冬空のない土地では芸術は単なる投機の対象ではなく、神聖で活力に満ちた楽しい仕事であり、芸術家は腹がすけばただ手を伸ばして、たわわに実った果物を木からもぎとればよいのだ。まるでエデンの園のアダムとイヴのように。現実はおまえの夢と同じようにはいかなかったがね、コケ。

七転八倒しながら望みをかなえようとする生涯。